目的と手順について

 (以下、将基面先生の講座についての将基面先生のお言葉です)

 講座初回はメンバーの方々の自己紹介を兼ねた序論的なものでしたが、次回から次のように各セッションを運営したいと思います。

 本講座の究極的な目的は、メンバーの皆さんが各自、「従順さを克服」したり「不正と対決」したりするよう人々をインスパイアする演劇企画やシナリオを実際に作るためのヒントを提供することにあります。

 この目的を達成するために、各セッションでは三つの課題に取り組みたいと思います。

(1)話題とする映画について、私(=将基面先生)なりの政治思想的な観点からの解釈とその解釈に用いる概念や理論を理解いただくこと。

 「理解」いただくのは重要ですが、私の理解が「正しい」解釈だと言いたいのではありません。あくまでも私の政治思想的観点からはそういう解釈が成り立つことを知っていただきたいだけです。いうまでもなく、たった一つの正しい解釈があるわけではありません。それどころか観客は各々多様な解釈をするものです。

そこで、
(2)メンバー各自がその映画をどのように解釈したのか、なぜそのような解釈をしたのかを、お互いに説明し理解するよう試みること。

 どうしてもご発言されたくない場合やいったん意見を保留したい方には無理強いをいたしましせんが、原則として、出席されるすべてのメンバーの方々に少なくとも一回は発言いただき、ご自分の解釈とその理由についてご説明いただきたいと思います。

 そうすることで、同じ作品がどれほど多様な解釈を生み出しうるのか、それはなぜなのか、について全員が自由討論を通じて知ることを目指します。どの意見が「正しい」のかが問題なのではないことにご注意ください。

 この作業がなぜ必要なのかといえば、メンバーの方々が創作者として作り上げるシナリオが作品として上演される際にも、その作品は観衆の多様な解釈を生むからです。そこで、各映画をまず、創作者としてではなく解釈者として、皆さんに検討し討議いただきたいわけです。

 しかし、メンバーの皆さんは最終的には自分が創作者となることを目指されています。

そこで、
(3)解釈者から創作者の立場へ転換するためのステップとして、討議した映画が従順さからの脱却や不正との対決を目指すよう、聴衆をインスパイアするのに適切といえるかどうか、現代日本や現代世界の問題状況、および創作者自身の思想や価値観に照らして考えること。

 創作者は、ある創作意図をもって作品を生み出しますが、その作品が作者の意図通りに観客によって解釈されるとは限りません。私がこの講座のために選んだ映画はどれも、「従順さからの脱却」や「不正との対決」というメッセージを何らかの形で映画作家が意図的に発していると私が解釈したものです。

 しかし、それは私の解釈であって、皆さんは、このような映画では聴衆をインスパイアするための物語として適切だとはお考えにならないかもしれません。だとすればそれはなぜ不適切なのかを討議する価値があろうかと思います。

 この問題についても「正解」はおそらくないでしょう。

 創作者はそれぞれの人生経験や価値観に基づき、自分が取り上げたい問題をめぐって、自分の意図や狙いを作品として表現することができるだけです。その解釈はもっぱら「観衆」に委ねられますが、メンバーの皆さんがどのような映画が「従順さからの脱却」や「不正との対決」というメッセージを発する上で適切と考えるかは、その方個人が「従順さ」や「不正権力」という問題に関してどのような価値観や思想を持っているかに左右されるはずです。それを自ら自覚することは、ご自身の創作活動に役立つことと思います。
 
以上の三つの課題(とりわけ第二の課題)に取り組むに際して、次の問題を念頭において映画を鑑賞してください。

【1】この映画がプロットとして提示する問題状況は何か。

【2】その問題状況への主要登場人物による対応はどのようなものだったのか。なぜそのような選択・行動を取ったのか。

【3】以上のような問題状況とそれへの対応を描くことで、映画作家は何を意図していたのか。

この三つの問題をめぐって、各セッションを進行したいと考えます。皆さんの積極的なご参加を期待します。