「従順さのどこがいけないのか」part2 開講


「従順さの」始まり


「先生の言うことを聞いて、いい子にしなさい」


私たち日本人は、子供時代から聞き慣れている言葉だと思います。
しかし、欧米の子供はこのように言い聞かされるそうです。

「先生にたくさん質問をして、自分の考えを言いなさい」

そう、欧米諸国の人々と私たちはスタートが違うのです。

私たち日本人は、物心つく前から ” 従順=良いことである ”と教育された人が多いのです。
それが現代日本の「従順である方が生きやすい」社会構造に繋がっていると思います。



『従順さのどこがいけないのか』第1章から一部抜粋させていただきました。
私たちの従順さはどこから始まっているのか・・・将基面先生のご著書は、とても分かりやすく書かれています。


海外では、ニューヨークやロンドン、パリなどの経済都市でも、デモやストライキが頻繁に起こります。

日本はどうでしょうか。
交通が止まるほどの規模のデモはなく、学生運動もストライキも令和では起こりません。

なぜでしょうか。
それは・・・子供の頃から、声をあげることを抑制されているからかもしれません。

「自分たちが意義を唱えても、行政は叶えてくれるわけがないよ」
「やるだけ労力と時間の無駄」
「それなら、アイドルやアニメを見て推し活してた方が100倍楽しいもんねー」

そういう会話が聞こえてくるのです。


凡庸な悪


「スルーするのが大人の対応」
「声をあげて、異議を唱える人は面倒だ」
「長い物には巻かれた方が、結局はタイパが良い(効率が良い)」

私たちは成長していくと、学校や会社でこんな事を言われたり、聞いたりします。

確かに従っていれば、楽に生きることはできるでしょう。
選択や責任を上の権力者が担うことで、こちらは色々考えないでいいのです。

小さなことにいちいち反発して、そこに時間と労力を割くよりも、プライベートを充実させたい人も多いでしょう。
上司の発言に違和感がある会議でも、黙っておいた方がきっと早く帰れます。
総裁選に誰が相応しいかなんて議論を交わすより、恋愛バラエティ番組について語る時間の方が楽しいかもしれません。

しかし、長期的に見るとそれは極めて不安定な平穏です。
極端な例を挙げるとすれば、ナチスドイツのヒトラーと部下・国民の関係は悲惨な歴史を生み出しました。

このことは『従順さのどこがいけないのか』第1章でも記されています。
ヒトラーの部下だった男がホロコースト、ユダヤ人大量虐殺の罪を問われる裁判で、男はこう言いました。

「自分は命令に従っただけだ」

思考や判断を停止させて規範に従うことが習慣化されている人間は、簡単に人を殺せてしまう。

これが哲学者ハンナ・アーレントの言う『悪の凡庸さ』です。
つまり、悪とは、思考停止状態の「凡庸さ」から生まれる・・・と主張しています。

これについては、現在もさまざまな研究と議論がされていますが、令和を生きる私たちも考えるべき問題だと思います。
自分が同じ立場だったら、卑劣な命令には絶対に屈しない・・・本当に、そうでしょうか。
社会に身を任せ、考えることを放棄していた人が、いざと言う時に声をあげられるでしょうか。


自分の在り方


自分のことは、自分が一番分からない。よく聞く言葉です。
確かに、他人にどんなことを言われても、人は自分が気付いたタイミングで動くものです。

だからこそ、自分が腑に落ちる方法で「自分の在り方」を考えていくことが大切だと思います。

その方法の一つとして、私はこの将棋面教授の講座を提案したいのです。
映画という共通のものをみんなで見て、将基面先生の学術的な視点を学び、色んな角度の意見を交換することで、「自分」というものが少しずつ確立していく・・・そんな講座だと思っています。

前期のクラスでも様々な意見が飛び交い、自分が普段生きている環境では手に入らないもの、かけがえのない時間を過ごすことが出来ました。

この講座では、顔色を伺ったり、ズレてるかもと意見を飲み込んだりする必要は一切ありません。
職場や学校、家庭などでは自分の主張は我慢して、意見を合わせることが少なくないと思います。しかし、この講座で遠慮はいりません。そのあなたの心の奥に閉まってしまった意見を出せる場として、使って欲しいのです。(もちろん傷付ける言葉は使わないなど、伝え方は気を付けてくださいね)
将基面教授はどんな意見も「面白いですね」と朗らかに受け止めてくださいますし、違う意見ウェルカムの講座です。

今期はどんな人たちがやってきて、どんな議論になるのか・・・ワクワクが止まりません。
あなたにお会いするのを、将基面先生と運営一同、楽しみにお待ちしております。

プロデューサー:梅村実礼